お役立ちの品の数々を、毎週メールで配信!

大平貴之

プラネタリウム開発者

ABOUT

大平貴之さんは、1970年、東京にほど近い川崎市に生まれました。植物採集や鉱石へ興味を持つなど、自然の世界に強い関心を持つ少年でした。漫画やアニメ、写真、天体など、対象は移り変わり、やがて自作のロケットを制作するようになりました。両親は数え切れない無限に続く質問を受け続けることになりました。

Takayuki Ohira

大平さんは、ギネスブックにも記載されているプロジェクター式プラネタリウム『メガスター』の開発者です。10歳の頃に最初のプラネタリウムを制作。それは、紙に穴を焼き付けて電球で照らすという、簡素な形式のものでした。


大学時代に大平さんは、素人の能力を超越した能力を発揮し、レンズ投射式プラネタリウムを制作しました。恒星原盤の作成には大きな労力と、助っ人の力を借りる必要がありましたが、諦めること無く制作を続けました。三年の制作期間を経て作られたこの『アストロライナー』は、11回の移動公演を行いました。


大学卒業後の大平さんは、ソニーに就職しエンジニアとして働き始めましたが、給料の大半を自らのプラネタリウムの制作のために使い果たしました。この『メガスター』のために、約500万円は使ったと大平さんは語っています。目指す星の数は100万個。高い精度が要求され、恒星原板作りで必用な原板の穴は0.7ミクロン。直径5㎝のプレート一枚あたりに20万個の穴を開けるという、気の遠くなるような作業が続けられたのです。


1998年、大平さんは27キロの『メガスター』を手荷物にロンドンに向かいました。国際プラネタリウム協会のロンドン大会参加のためでした。参加者たちは、その細密な仕事に驚嘆し、個人で作られたこの驚くべきプラネタリウムには大きな注目が集められたのです。


更なるコンパクトさと500万個の星を表示する事を目指した『メガスターⅡ』大平さんの制作は帰国後も続けられていました。5年後にはソニーを退社し、事務初を借りて独立することになったのです。そして、その直後に事態は動き始めました。


セガトイズとの共同制作で、大平さんは世界初の家庭用ポータブルプラネタリウムを制作します。この「ホームスター」はレンズ投影式で、表示できる星数は一万個。価格は約二万円で発売され、大ヒットしました。その後、お風呂で使えるバージョンも続き、2007年には六万星を表示可能な『HOMESTAR Pro』、翌年は12万星の『HOMESTAR EXTRA』と、次々に発売されていきました。


大平さんの空はどこまでも広く続き、限りない宇宙につながっています。どこまでも遠く、限界を超えていくこと。不可能という言葉の向こう側に存在したのが、大平さんのプラネタリウムなのです。

クリエイター一覧へ戻る