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d-torso by アキ工作社

d-torso by アキ工作社
業種:
製造業
所在地:
大分県国東市安岐町富清3209番地2
AKI Co.,Ltd.

1998年、段ボール製組立て式マネキンからスタート

アキ工作社が1998年にはじめて発表した「段ボール製組立て式マネキン」が、d-torso(ディー・トルソー)の始まりです。それに遡ること2年半前(1995年)、当時建築設計の仕事をしていた代表の松岡がニットデザイナーである妻のはじめての個展のため、d-torsoのプロトタイプを考案、製作したのがきっかけでした。以来、同造形システムを発展させながら、国内外のディスプレイ・インテリア・雑貨・特殊パッケージ・ロボットなど、様々な分野で立体商品を制作しています。現在アキ工作社は大分県国東半島の山間にある廃校になった小学校をリユースして事業の拠点としています。ここは少子高齢化がすすむ代表的な日本の中山間部落です。アキ工作社はこの場所で「モノづくり」を通して世界と繋がりながら、その土地固有の時間の中で、仕事を創り、豊かに暮らす「新しい生活」の提案をしていきたいと考えています。
d-torso by アキ工作社

d-torso

d-torso(ディー・トルソー)は、アキ工作社が開発した立体造形システムです。立体イメージをCTスキャンのように輪切りにしていき、その断面をもとに一つひとつの部品を設計し、それらをふたたび再構築する d-torso の設計手法は、人型(マネキン)からはじまって、動物型や機械などの人工物にも広く応用してきました。d-torsoはいわゆる「表面」を持ちません。表面にあたる部分はレーザーで切り出され内部構造が露出した段ボールシートの断面が非連続的に連なります。鑑賞者はそれらの部品と部品の間をイメージで補完し、ひとつの像(フォルム)として認識します。この架空のフォルムはそれを支持する建築的な構造によって成り立っており、フォルムと構造のバランスが d-torso の最も大きな特徴です。
d-torso by アキ工作社

松岡勇樹

代表取締役
松岡勇樹
1962年大分県国東市生まれ。武蔵野美術大学建築学科修士課程修了後、建築構造設計事務所勤務を経て、独立。1995年ニットデザイナーである妻の個展の為にd-torsoのプロトタイプとなる段ボール製マネキンを制作。1998年、生まれ故郷である国東市安岐町にアキ工作社を創業、代表取締役社長。2001年「段ボール製組立て式マネキン」でグッドデザイン賞受賞。2004年第二回大分県ビジネスプラングランプリで最優秀賞受賞(賞金1500万円)、本賞金をもとに設備を拡充、雇用を拡大し、現在の事業形態となる。2009年から、廃校になった旧西武蔵小学校を国東市から借り受け、事業の拠点としている。日本文理大学建築学科客員教授。

国東半島(くにさきはんとう)

国東半島は大分県の北東部に突き出た円形状の半島で、奈良時代から平安時代にかけて「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼ばれる神仏習合の仏教文化が形成された。半島のほぼ中央部に標高721mの両子山(ふたごさん)があり、そこから丘陵地と谷が海岸に向かって放射状に伸びている。さらに北の海上には古事記にも登場する「姫島(ひめしま)」が浮かぶ。

 半島の地形図を見るとよくわかる。中央の両子山から放射状に広がったいく筋もの尾根と谷、かなり特異な地形だ。半島を切り取ったこの絵をずっと見ているとヒトの頭のようにも見えてくる。東の海岸は鼻、口、顎、咽とつながり、北半分の放射状の部分が脳だ。そう見ると数々の山筋がニューロンネットワークのようにも見えてきて、ちょっと生々しい。さしずめダイダラボッチの首というところだろうか。 ・・・と、こんなふうに国東半島にはさまざまな人たちが、それぞれの思いを土地に重ねて、おびただしい数の伝説、逸話が存在している。実際に国東半島について書かれた野史(やし:民間が編集した歴史書)の数は他所に比しても相当に多いそうだ。それだけこの土地が人々のある種のセンサーを震わせる何かをもっているということだろう。

 近代以降、国東半島は「陸の孤島」と呼ばれ、県内でも僻地/孤立した場所として認識されてきた。なるほど、道路が整備されはじめ陸上交通が主体となった近代以降は陸の突端である「半島」は最果ての地であり、内陸の中心地から見ればもっとも外縁部であったろう。だがかつて陸上交通が発達する以前、海上交通が主たる時代は4分の3を海に囲まれた半島の地形は外周各地に港を持つ交通の要衝であった時代のほうが長いのだ。古代より国東半島は北は朝鮮半島、東は瀬戸内海の島々をとおって近畿までの交通が交差する基点として機能した。外部から渡来したヒトや情報を受け取る、文字通り受容器官としてこの地形が活きていたに違いない。そんな痕跡が半島内の祭儀にも残っている。

 毎年10月14日、国見町櫛来の岩倉社でおこなわれる「ケベス祭」はその影をもっとも色濃く残している。この火祭り、いつ頃からはじまったのか、またその名称自体も歴史も由来も定かではない、奇祭と呼ばれる由縁である。この祭りはエキセントリックな(日本の伝統的な意匠と共通性を発見するのが困難な)古い焼け焦げた木製の面を被った「ケベス」(非日常を代表したトリックスター的な存在)と「トウバ」(日常を代表した守る立場の人々:当番が由来らしい)が「火」を介して攻防を繰り返し、ついに防衛線が突破されてカオスが出現する。それまで静かにその攻防を見守っていた境内は阿鼻叫喚の場と変貌し、火に追いかけられ人々が逃げ惑う。奇妙なのは火を持って追いかけるのは「火」を守っていたはずの「トウバ」だということだ。境界を突破したときになにかしらの交換が行われたということだろう。それ以上のことはこのパフォーマンスからは読みとれない、しかしながら鑑賞者の私たちですら異様なほどの高揚感に包まれる。参加する当事者の心境は計り知れない。

 同じく国東の火祭りで旧正月に行われる「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」がある。現在は半島内の3つの寺、岩戸寺、成仏寺、天然寺のみで行われているが、かつては六郷満山65の寺院で行われていたそうだ。家内安全、五穀豊穣、無病息災を祈願する行事で、天台宗の僧侶が扮した赤鬼の災払鬼(さいばらいおに)と黒鬼の鎮鬼(しずめおに)の2鬼がたいまつを持って境内や集落を回る。この鬼たちは決して悪者では無く、祖霊が姿を変えたものとされており、家のなかに迎え、食事や酒のもてなしを受ける。鬼は写真のような荒縄を巻き付けたボンデージ衣裳を身に纏い、荒々しく振る舞うが、とても優しい。鬼の身体が縄で縛られているのは、鬼の力を封じ込めるためなのだそうだ。

 この二つの祭儀に共通すること。「ケベス」も「鬼」も日常の外「異界」から侵入して、私たちの日常にある種の混線をもたらし、払い、鎮め、いつのまにか消失するということだ。一概に異界というといささか乱暴だが、要は日常からこぼれた日常ならざる時間や空間だと考えればいい。鬼やケベスは異界を代表するアイコンのひとつであり、困ったことにかれらは絶滅危惧種である。ここ国東に限らず、日常のなかに畳み込まれた日常ならざる時間や空間との遭遇は、人の生活空間そのものを豊かにしてくれる、それは間違いないことだろう。逆にいま見えている生活だけが世界だとしたら、こんなにつまらないことはないのだけれど、現代社会はいまなお狭いほうへ、狭いほうへと向かおうとしている。

 これらの祭儀のルーツが内部と外部という関係性、その境界線上の事件にあったことは想像に難くない。この半島には海の向こうからやってきたものが、なんらかの豊穣をもたらした記憶が刻まれているらしい。国東半島の地形を考えれば、海から訪れたマレビトのもたらす情報(DNA)が境界の閾を乗り越えて浸透し、両子山を中心とする山襞のなかに蓄積されてきた。そういう意味ではこの半島そのものが、もっとも古いカタチのデータベースになっていると言えるだろう。奈良から平安の時代、なぜこの場所に独自の宗教文化が華開いたのか、なぜ世界的にまれに見る石造文化がこの地に残っているのか、その理由は歴史上不明のままであるが、おそらくこの特殊な地形に起因していることは間違いなさそうだ。

 1971年に国東半島に新大分空港が開港し、空の交通の窓口となって40年、キャノンやソニーなどの大手企業の誘致、それにともなう関連企業の進出、1995年にはじまる世界的なインターネットの普及によって、ヒトや情報の交通システムが再び大きく変わった。その結果が見えるのはもう少し時間をおかなければならないだろうが、私たちをとりまく社会環境は依然として深刻な問題を抱えている。日本の戦後資本主義、高度成長に起因する、様々な歪みが地方生活者の暮らしを浸食しているのだ。少子高齢化はその現象の一部で、30年後国東市の人口は現在の3分の2に減少しているという予測もある。またかつてこの地で開花した、伝統的な宗教は、仏教にしても神道にしても現代社会において、その主たる役目を終えようとしている。伝統宗教はそれ自体のありかたを自ら更新する必要がでてくるだろう。

 私たちがやるべきことは伝統を守ることでは決して無い。守るためだけに存在する伝統は現代社会に歪みとストレスを生むばかりだ。この土地の風土と固有の時間のなかで蓄積されたデータベースから、そのもっとも古い地層から、再度情報を読み込みながら私たちの世代の「新しい生活」をつくらなければならないと考える。

 最後にもう一つ紹介したい。私たちが現在事業の拠点としている旧西武蔵小学校(4年前に廃校)のすぐそばに、かつて三浦梅園という自然哲学者が住んでいた。そこには、いまも彼自身が設計した旧宅が残っている。  

三浦梅園(1723~1789)は江戸時代享保期、8代将軍徳川吉宗の時代のひとで、同時代人としては平賀源内や本居宣長がいる。梅園は生涯に三度旅をした以外は、終生、生まれ故郷の国東半島を離れることなく、家業であった医業の傍ら黙々と思考を続け、「条理学」と言われる独自の学問大系を築いた。すべて梅園自身の言葉による(引用の無い)宇宙の条理を考察した大建築だ。梅園もまたこの国東半島という巨大なデータベースから情報を読み込みながら、純粋な思考を築き上げた先達の一人だ。梅園の著作のなかでは「玄語」がもっとも有名だが、別に「価原」という経済論があり、その内容は現代において、再び大きな意味を持ち始めた。

「水火木金土殻、これを六府と云ひ、正徳・利用・厚生、これを三事と云ふ。後世の治、千術萬法有りといへども、此六府三事に出でず」「古の聖人と云ふ者は、天下を有する人なり。これを王者と云ふ。王者の材とする所は、水火木金土殻なり」(豊かさはお金ではなく、水火木金土殻の資源にあり、その使い方によると言っている)

 現代社会においてはどのような辺境に住もうとも、グローバル経済の枠組みから誰一人逃れることはできない。それは世界経済が有限な地球資源を前提として動いているからだ。私たちは現代的な環境の中でもう一度「資源と時間」の使い方を考えなければならない。社会にとっての資源が有限であるのと同じように、一人の人間にとって「時間(とき)」もまた有限であり、「生命(いのち)」そのものであるからだ。

 私たちの職場では今年から「国東時間(くにさきじかん)」なるものを導入した。簡単に言えば、会社を週休三日制にするということだ。会社に出てくるのは週のうち連続4日間、祝日がある週は調整して出勤日4日を確保する。休みの日は山歩きをしたり、釣りに行ったり、読書をしたりすればいい。とにかく国東の(土地固有)の時間を社員の個々が取り込んでくれればいい。それが個人のスキルアップにつながり事業の効率をあげることになる、という考え方だ。

マルクス曰く、「自由の王国の根本条件は労働日の短縮だ」そうである。はたして自由の王国への第一歩になるか。アキ工作社の挑戦はまだはじまったばかりです。

アキ工作社 松岡勇樹
国東半島(くにさきはんとう)
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